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見沼散策

実施日 平成23年1126日(土) 天候 晴れ

参加者 21

ガイド 見沼まなべる・ガイドクラブ 小林 昭氏他3

 

伊奈さいたま会では、昨年、一昨年に続いて3回目の「見沼散策」である。

1回目は、見沼田んぼの南部緑区地域、東浦和駅から通船掘遺構・民家園等を、

2回目には、土呂駅から市民の森、鷲神社、寿能城址等を歩いた。

3回目の今回は、見沼田んぼ散策の総仕上げとして、田んぼ周辺の謂れのある社寺を手掛かりに中央部地域を訪ねることにした。コースは歩程5 km の次の行程である。

 

東浦和駅9:00からバス利用

見沼氷川公園9:25 武笠三作 唱歌「案山子」発祥の地、案山子像あり)  氷川女体神社9:40 武蔵野国一之宮)  見沼大橋10:20 広い見沼と芝川を見る)→ 国昌寺10:40 開かずの門伝説)→ 総持院11:00 見沼の名勝、5月はボタン園)→ 中野田 鷲神社11:20 旧野田村鎮守、獅子舞が有名)→ 五斗蒔橋11:25 見沼代用水東縁、大蛇伝説)→ 深井家長屋門11:45 代表的長屋門、指定文化財)→ 渋柿畑12:00 見沼周辺は昔高品質赤山渋の産地)→ さぎ山記念館12:15 江戸時代から有名な野田のさぎ山跡地)→ 井沢弥惣兵衛像(吉宗の命で見沼の干拓を指揮した)→ 見沼自然公園12:30 池に渡り鳥が来ている)→ 見沼暮らしっく館12:45 旧坂東家、江戸期の名主の住宅)

バスで大宮駅へ

 

東浦和駅に9時集合、9時4分発の路線バスに乗って芝原小学校下車、直ぐ近くの松芝公園からウォークを開始、12時半最終行程の暮らしっく館にて解散した。約3時間半のウォーキングであったが、落後する者もなく、見沼の新発見に感嘆しながらの楽しい散策であった。

 

 見聞きしたものの中で、特に印象に残ったのは竜神伝説である。さいたま市の主な竜神伝説は19にも上るそうだが、「御船祭の竜神伝説」は忘れ難いものになった。

 見沼を干拓し田んぼにする際、遠い昔から行われていた「沼の主の竜神を祀る」御船祭が出来なくなると言う訴えが幕府へなされた。沼がなくなると船を浮かべる所が失なわれるからで、その祭りを行っていたのは氷川女体神社であった。幕府は人々の訴えを聞き入れ、神社の前に見沼の水を残し、中央に土壇場と言う出島を作り祭りの場を残した。見沼の竜神は干拓と同時に天に昇ったが、今でも見沼の辺りを見守ってくれている他、この残された沼に時折降りてきては泳いでいるそうだ。もしかすると鯉に姿を変えて泳いでいるのかもしれないと言うことである。「御船祭」は現在「祇園磐船竜神祭」と名を変え、毎年5月4日に開催されている。皆さんも是非お出かけ下さい。

 

 人が一列に並ばないと歩けない「みどりのトラスト保全地区(見沼田圃周辺斜面林)を超えた辺りの景色も印象に残った。秋の風情が秀逸で、大宮にもこんなところが残っていたかと見直したほどである。

 

「見沼まなべる・ガイドクラブ」の皆様、本当に有難うございました。

 

(yamada 完)

見沼暮らしっく館で


見沼田んぼと龍神伝説

見沼田んぼの自然がより多く残る中央部を散策した。そして、又それは龍神伝説を訪ねる旅ともなった。

唱歌「案山子」発祥の地として知られる見沼氷川公園から出発。氷川女体神社では拝殿の横に回って、拝殿と本殿が一体となった建築様式の説明を受け、神さびて、優しげな千木を見上げた。

遠く見沼大橋に沿って、メタセコイアの並木が晩秋の景色の中に円錐形をして並んでいた。橋の上から広く見沼田んぼを眺めると、はるか向こうにスカイツリーが霞んで見えた。

橋を渡り国昌寺に向かった。「開かずの門」として有名な山門には左甚五郎作と言われる竜の彫刻があった。田畑を荒らす見沼の龍を彫って、閉じ込めたという。

“ボタン”の総持院から竹林を通り抜けるとここら辺りは、どこかで出会ったような懐かしい風景が広がっていた。古民家の庭先を眺めるようにして歩いていくと五層のかやぶき屋根を持つ長屋門が目の前に現れた。柿渋づくりの作業所でもあった名主深井家の長屋門を見学した。上野田辺りは赤山渋の産地であった。かって、防腐剤の役目をしていた柿渋は漁網などに欠かせないもので、荒川を船で江戸まで運んだという。道筋に赤く、小さな渋柿が沢山実をつけて青い空に映えていた。

見沼自然公園には見沼を干拓した井沢弥惣兵衛像があった。彼にも龍神にまつわる話が残されている。

自然を畏怖し、崇拝する精神が龍神伝説を生み出したのだと思う。自然破壊につながる開発を戒める意味で龍神伝説は、今なお生きている。

今回、見沼まなベル・ガイドの皆様の丁寧な説明により、見沼が一層身近に感じられた。

                                                                                                                       島田千恵 

見沼氷川公園案山子像

氷川女体神社は修復中 見沼大橋から新都心を望む
国昌寺の菩提樹 総持院の山門 獅子舞が行われる鷲神社
深井家長屋門 渋柿畑 見沼暮らしっく館
楽しく歩く会員参加者 雑木林の中を歩く

 見沼田圃散策