平成27年11月6日(金)伊奈さいたま会22名が参加し天候に恵まれ、歴史と人形の街、又日光御成街道9番目の宿場町をボランテイアガイドさんの案内で散策致しました。岩槻駅を降りると目につくのは駅前に真福寺貝塚の土偶「ミミズク土偶」と人形の街岩槻をイメージした「からくり人形」がお出迎え。
岩槻の歴史は岩槻城の築城により始まったといわれていります。室町時代末期に築城されましたが築城者は太田道灌とか父太田道真,忍城主成田氏とも言われておりますがはっきりしておりません。16世紀の前半に大田道灌が城主となった城下町岩槻として成立った街です。
古い街並みと新しい街並みの混在する中で古寺芳林寺は曹洞宗の覚翁文等和尚により開山、岩槻城主太田氏資高公、高力清長公が葬られている。
岩槻は城下町の為曹洞宗の寺院が多く洞雲寺も同宗派の寺で岩槻城主太田資頼により開山されたと言われております。本堂は焼失されましたが山門は開山当時の面影を伝えており市の文化財に指定されております。
岩槻城から成立った為通りも昔なららの名称小路名が多く見られた。武家屋敷通り、市宿通リでは老舗,旧家の屋根には瓦鐘馗が睨みを利かしております。
遷喬館は寛政11年(1799)岩槻藩士で儒学者「児玉南柯」が創設した私塾,後に藩校となり武芸の稽古場となる。
時の鐘岩槻城の鐘楼,寛文11年(1671)時の城主阿部伊代守正春の命により鋳造されましたが現存するものは享保5年(1720)に改鋳されたものです。
最後は鮒又で待ちにまった食事タイム操業天保年間の老舗料亭です。女優の三宅邦子さんの実家だそうです。美味しい食事でお腹も満たしたところで13時30分解散となりました。お疲れ様でした。
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